嘆く者の誠実
ヨブ9:10-11

嘆く者の誠実

礼拝メッセージ

説教者:八木原海先生
2023.10.1礼拝説教
説教題『嘆く者の誠実』
【説教箇所】ヨブ記9:10 – 11

9:10 大いなることをなさって測り知れず、
その奇しいみわざは数えきれない。
9:11 神がそばを通り過ぎても、私には見えない。
進んで行っても、気づかない。

ヨブ記9:10 – 11

誠実シリーズ

 誠実さというのは、私達が社会で生きていく中で認められる一つの資質です。日ごろから誠実に働いている様子は認められて、重要な頼み事を任せられることもあります。聖書は誠実に生きる生き方を教えています。他の人と生活する中での誠実であることはもちろんのこと、神様との関係において誠実でありたいからです。4回のシリーズで、「嘆く者の誠実」「富んだ時代の誠実」「王の誠実」「誠実の危機?」と題して、聖書を読んでいく中で、誠実に生きる生き方を学ばせていただきましょう。

誠実の一側面

 自分にとって重要だと思う人のことは、その人の行動や言葉について思いめぐらせたり、忘れないように努めたりします。相手のことをないがしろにしたくないからです。では、嘆く程の痛みや苦しみを負って自分のことで精一杯の時に、誰かのことを思い続けることはできるのでしょうか。

ヨブはどうか

 旧約聖書のヨブ記に登場するヨブは、元々は子宝に恵まれ、また非常に多くの家畜としもべを持っている、地域の有力者でした。家では日ごとに宴会が開かれるような裕福な暮らしを送る一方で、罪から遠ざかり、人を教え導き、貧しい者にとって父となり、弱き者を助ける、神を信じる者としての行動を常にとろうと努めた人でした。そんなある時、ヨブを試そうと、サタンが計画を神様に話しました。その時神様は、サタンに言いました。
 「おまえは、わたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように、誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者は、地上には一人もいない。」
サタンの試みは速やかに行われました。使いの者がヨブのところに来て、祝宴の最中に強盗が家畜を奪い、子どもたちを殺していったと知らせました。別の使いの者は、家畜としもべたちが焼き尽くされたと伝え、もう一人の使いも、強盗に家畜が奪われたと知らせました。強盗、火、大風などが次々と報告され、ついにヨブの子どもたち、家畜、しもべは消え失せてしまったのでした。全てを失ってもまだ愚痴をこぼさないヨブに、サタンはヨブの全身に悪性の腫物を与えるよう神に頼みました。ヨブは全てを失った悲しみを味わい、腫物を土器のかけらでかきむしり、身も心もボロボロになって落ちて行ったのでした。そんな嘆かわしい状態のヨブの神への信仰心はどうなってしまったでしょうか。

ヨブにできたこと

 もちろんヨブは今までのように、捧げものを捧げたり、すぐさま神を賛美したり、人前に立って教えたりすることはできません。むしろ反対に、自分が生まれたことを呪い、この世の理不尽なことを並べ立てて語るようになってしまったのです。しかしヨブはこらえるのです。聖なる生き方などは99%失われているような時でも、残りの1%で、ヨブは神を思っているのです。当然その内容は高らかな賛美ではありませんが、神がどういうお方なのかという知っている事実を語るのです。

①なんでもできる神のはず

今日の箇所でヨブは、神様にはなんでもできるということを認めています。
9:10 大いなることをなさって測り知れず、
その奇しいみわざは数えきれない。
 「大いなること」というのは大自然のことではなくて、大自然をつかさどる神様のわざのことを言っています。田舎で育った方は、小さい頃から山の名前を教えられて育ちます。海の名前とか、その向こうにある島や半島の名前を教わるものです。都会でも開けた場所なら星座を見ることができます。何世代にもわたってそこにあり続ける自然を見て、ある人達は神がいるのだと信じたりします。しかしヨブは、自然を今ある位置から自由に動かし、なくしたり作ったりする、想像もおよばない大いなることが神様にはできると言っています。そして、なんでもできるはずの神様がいるとして、ヨブが次に思いを巡らせたのは、自分についてでした。

②人間に神はわからないはず

 11節を読みましょう。

神がそばを通り過ぎても、私には見えない。
進んで行っても、気づかない。

9:11

 人間である自分に神様はそばにいるのか遠くにいるのかもわからないと言っています。ヨブは確かに正しい人でした。でも、息子たち娘たちが失われ、財産も消え本来の自分も見失っている今、神様に抗議する力もありません。それどころか、想像を超えたお方を人間ごときが、把握できるはずがないとヨブは言いました。ヨブの言葉は、否定的ではありましたが、この言葉をもって、ヨブが神様に思いをはせたという誠実さを私達は見るのです。

助けられて

 ヨブは、嘆きの中で、かろうじて神様について思い起こしました。誠実でいるということは立派なことですが、それさえも助けが要ることではないでしょうか。ヨブを3人の友人が議論で導きました。またヨブは、自然から神様の本質を思い起こし、自分の今ある体から神様と人間の距離に思いをはせたのです。私達は、神様についての事実が知らされることがあります。啓示という言い方をします。聖書から神様について教えられ、この世界にあるものから神様について教えられます。そして、クリスチャンは、十字架で死に、復活され、いつも共にいてくださると約束してくださったイエス様がいるという事実に助けられるのです。またイエス様が与えてくださった教会のメンバーにも助けられて信仰生活を送るのです。

 ヨブのようになりたいと思う人はいないと思いますが、ヨブから学ばされました。嘆いたヨブは、なんでもできる神様について、また人間がとうてい及ばない神様について思いをはせました。ヨブにとって神様とは、つらい中でも思い起こしているべき重要なお方だったと言っても良いかもしれません。私達は主となってくださるイエス様に出会っているでしょうか。ぜひイエス様という人生にとって重要な方を知っていただきたいと思います。また、引き続き、聖書から、私達がどう生きるべきなのかを教えられ、他の信仰者たちと一緒に成長させていただきたいと願います。