悲しみを希望と感謝に
悲しみを希望と感謝に

御言葉はイエス様そのもの

礼拝メッセージ

説教者:藤井敬朗師
2024/7/7 礼拝説教
【テーマ】 御言葉に感動する
【説教題】「御言葉はイエス様そのもの」
【聖 書】Ⅰテサロニケ5:16-18

5:16 いつも喜んでいなさい。
5:17 絶えず祈りなさい。
5:18 すべてのことにおいて感謝しなさい。

Ⅰテサロニケ5:16-18

○ この言葉通りの生活ができたらきっと幸せです。聖書にはこんな御言葉もあるのです。
今回も私の証になることをお許しください。今日のこのテキストは有名な御言葉ですが、そう簡単にできるものではないことを体験しました。三叉神経痛の手術を受けることは今年の4月まで考えたことはありませんでした。怖かったからです。しかし、こんな痛みがどこまでも続くのは耐えられませんから手術を受けました。術後、痛みが消えているのを感じ大喜びしました。
いつも喜んでいなさい。
の御言葉通り、いつも喜べたら良いのですが、私はすぐに不安と恐れに見舞われました。顔右側に麻痺があり、右耳が聞こえなくなっていたからです。

御言葉はイエス様そのもの

喜びは束の間で感謝の少ない私

体が思うように動かないという恐怖

1.手術前、体は自由に動かせたのですが、手術後自分の体が自分の体ではないように思えました。ICUで右手だけは自由に動かせたので、最初右手で鼻を触ろうとしたのですが、鼻に人差し指が届かないのです。自分では届いているつもりです。何度か挑戦してやっと届くようになりました。翌日の重症患者室では左手も動かせたので、右手人差し指と左手人差し指を合わせようとしましたが合わないのです。これも何度かしてやっと合うようになりました。

2.また、立ち上がるにも看護師さんの助けが必要で、自分だけでは立てないのです。「膝よ、しっかりしろ!」と心の中で叫ぶと、膝に力が入りました。しかし、右足が前に出ないのです。また、心で「歩け!」と叫ぶと踏み出せました。「左足!」と叫んでまた一歩進めました。そこで、看護師さんが「休憩しましょう」です。怖かったです。ものすごい不安が襲ってきました。もちろん「イエス様」と何度も呼びかけました。
    3.しかし、告白の大事さを知った時でもありました。「イエス様を信じます!」としっかり言うことで一歩は踏み出せるのです。

何と感謝の少ない自分だったことか

1.次に、看護師さんから「水を飲む練習をしましょう」と言われました。「水くらい飲めるよ」と思ったのですが、「何も無しでごっくんしてください」と言われやってみるのですが、上手くできないのです。それでも30秒で4回できました。そこで5CCの水を飲む練習をし、続けて10CCの水で薬を飲みました。術後初めての水はとてもおいしかったです。

2.次は一人でトイレに行く練習です。立ち上がって一歩踏み出すと目まいで気持ち悪くなります。グッとこらえて数歩歩き便座に座ります。こんな練習を何回か繰り返して、一人で行けるようになると4人部屋に戻れました。

3.手が思うところに動くこと、水が飲めること、普通に歩けることなど今まで簡単に行っていたことが、実はとても大変なことだったんだと知り、神様に感謝し、感動を覚えたことでした。こんなことを今まで感謝したことは無かったように思います。いかに感謝の少ない日々を過ごしていたんだろうと思いました。

神は人やモノを用いて励ましてくださる

皆さんが明るく、優しく、親切だった

1.こんな不安だらけの私を安心させてくれたものをお伝えします。その一つが病院の皆さんの笑顔でした。「ここはキリスト教の病院?」と思うほど、明るく、優しく、親切でした。その仕える姿にすごく感動しました。おかげで、不安や恐れが少しずつ消えていくのです。

2.私はまるで赤ちゃん、幼子でした。「しっかりしなさい!」「こんなこともできないの!」と言われたら不安でいっぱいだったでしょう。でも「大丈夫ですよ」「できましたね」「良かったですね」と笑顔で優しく言われると不安が消えていきます。子育て講演でずっと言ってきた「安心感の土台を造ること」を身をもって体験しました。

3.神様はこうした方々をも用いて不安の塊である私を励ましてくださいました。そして、その姿がすごく勉強になったことも感謝しました。かといって、自分にこんな笑顔、優しさ、親切ができるとは思えませんでした。

電波が元気をくれた

1.私の心を落ち着かせてくれたもう一つがラジオでした。連休中のラジオ番組で「子ども科学電話相談」があり、懐かしく聞いていました。「天国はよいところなんですか?」という相談が過去にあったそうです。その回答に「誰も戻って来ないからとても良いところなんでしょうね」と回答者が答えたそうです。牧師なら何と答えるのでしょうね。

2.その番組を聞いていて子どもたちの感性の素晴らしさを感じました。「スイカの種はなぜスイカの中で芽を出さないのですか?」→「発芽には空気が必要で、スイカの中では空気が無いし、種の周りにぬるぬるしたものがあって空気に触れないようにしている」と、神の造られるものは何と素晴らしいと感動を覚える瞬間でした。また、女子中学生が「恥ずかしいという感情はどうしてあるのですか?」と質問しているのを聞いて、私は「思春期になるとそういう感情がわいてくるものだ」なんて思って聞いていたら、回答者の先生は「国や、文化、時代によってその感情に違いがあるのですよ。江戸時代のお風呂屋さんは男女混浴だったのよ。それで恥ずかしくなかったらしいのよね」と、女子中学生も私もびっくりでした。感動より驚きと笑いでした。

3.見えない電波が私の聞こえる左耳に元気を届けてくれました。福音放送は聞けなかったのですが、ラジオ伝道、テレビ伝道、インターネット伝道のありがたさを垣間見たときでした。神様はこうしたモノも用いて私を励ましてくださったのです。ということは、神はあらゆる方法を用いて色々な人を救い、励ましてくださるのだと感じたのです。

神は喜びというプレゼントをくださる

笑うといいよ!

1.5月7日、朝4時前に痛みで目が覚めて眠れなくなり、またラジオを聞きました。「笑い療法士高柳和江」という方のインタビューが1時間くらいありました。クウェートの病院で10年間小児外科部長を勤めて帰国された方です。「笑い」があらゆる病気の癒しに効果があることを知って、そのことを広めておられる先生で、番組中、ほとんど笑って話をされていました(笑)。

2.この番組で先生は「毎日5回笑いましょう。そして、5回感動しましょう。さらに付け加えて、感謝しましょう」と言われました。「感動」と「喜び」を同じにはできないかも知れませんが、この話を聞いていたら、ちょうど窓の外が明るくなって朝日が昇ってきたのです。朝日を見た私は感動し、喜びを感じました。この日最初の感動でした(あと4回感動したかどうかは不明です)。そして笑顔になっていました。喜びというのは自分で作り出すというより、神からのプレゼントだと感じたのです。私はラジオから語られる高柳先生のことばで喜びをいただきました。

何と言っても御言葉が力

1.病室ではWi-Fiが使えないので、スマホもあまり使いませんでした。新聞も無く、またテレビもみませんでしたから、世の中の情報と切り離されたような生活でした。4人部屋とは言え、お互い話もしませんから、何となく孤独な環境です。お陰で祈りと聖書の時間がかなりとれました。不安と闘う私に、毎日御言葉は励ましを与えてくれました。聖書はやはりすごいです。

2.「みことばの光」とローマ人への手紙、詩篇を読み続けたのですが、みことばの中から今までとは違った新しい発見をし、毎回感動を覚えました。聖書はやはり感動の書です。そして御言葉には不思議な力があることを確認しました。御言葉があるというのは私と共にイエス様がいらっしゃるということなんです。すると、また喜びが湧いてきました。

★今日のテキストは「喜べ、祈れ、感謝せよ」と命令口調ですが、その命令が重荷とはならないのです。この御言葉を知っているだけで、イエス様が共におられて、様々な人やモノを通して私たちに喜び(感動)を与え、祈らせ、感謝の言葉を生み出してくださるのです。