聖霊に満たされる体験

礼拝メッセージ

2025/6/8 礼拝説教
【テーマ】  ペンテコステ
【説教題】 「聖霊に満たされる体験」
【聖書箇所】 使徒2:1-8
【説教者】藤井敬朗牧師

2:1 五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。
2:2 すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。
2:3 また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。
2:4 すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。
2:5 さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国々から来て住んでいたが、
2:6 この物音がしたため、大勢の人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、呆気にとられてしまった。
2:7 彼らは驚き、不思議に思って言った。「見なさい。話しているこの人たちはみな、ガリラヤの人ではないか。
2:8 それなのに、私たちそれぞれが生まれた国のことばで話を聞くとは、いったいどうしたことか。
使徒2:1-8

○ 先週、復活したイエスが40日間、弟子達に現れて天に帰られたところまで語りました。イエスはオリーブ山で弟子達に 24:49 見よ。わたしは、わたしの父が約束されたものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」 と言われたので、弟子達はエルサレムに帰り、彼らは祈って待ちました。そして、10日後のペンテコステ(50日目の祭・五旬祭)のことです。そして、同じような体験が今もあるのです。それをお伝えします。

聖霊に満たされる体験

五旬節の日に

 「聖霊」がわからないまま待っていた

    1. 2:1 五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。 とありますが、 五旬節 とは、聖書辞典にこのように書かれています。「五旬節とは50日目の祭日という意味で,大麦の初穂の束をささげる日から数えて50日目に行われたことから生れたギリシヤ語訳のペンテーコンタ・ヘーメラスの訳語である.ペンテコステとも言う.五旬節,すなわち7週間経過するところから「七週の祭り」とも呼ばれていた.立ち穂に鎌が入れられて始まった大麦の収穫の終りを意味し,いよいよ小麦の収穫となるのである.それゆえ「刈り入れの祭り」,「初穂の日」とも呼ばれている.この祭は3大祭の一つとして,ソロモンの時代にも守られていたようである.その日にはいかなる労働もしてはならず,聖なる会合が開かれて,イスラエル人のすべての男子は主の前に出ることが義務づけられた.」

    2.こういう祭の日だったので、多くのイスラエル人がエルサレムに集まっていました。弟子達はイエスから言われたことを守り、エルサレムで祈って待っていました。ただ約束の聖霊がどのような方か、また、 力を着せられる ということがどういうことかも分からず待っていたのです。

驚く現象

    1.このペンテコステの日に驚くようなことが起こりました。まず、 激しい風が吹いて来たような響き です。これによって人々が集まってきたのですからすごい物音だったのでしょう。続いて 炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった のです。考えつかない光景ですね。舌は言葉を司る部分です。天からの言葉が来たと言えるのではないでしょうか? さらに続いて すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた のです。これが初めてイエスを信じる人々に聖霊が降ったところです。

    2.こういう現象が毎回起こるわけではありませんが、聖霊はこの日から後ずっと、イエスを信じる者に宿られるようになりました。 ガラ 3:14 それは、アブラハムへの祝福がキリスト・イエスによって異邦人に及び、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるようになるためでした。 と、約束された聖霊をいただいくようなりました。それは ルカ 11:13 天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。 とあるように、求める者(イエスを信じる者)に必ず与えられるのです。

    3.Ⅰコリ 3:16 あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。 また、 Ⅰコリ 6:19 あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。 と、あるように、イエスを信じる者が神の宮となりました。

聖霊体験

聖霊のバプテスマ

    1.バプテスマのヨハネが語った マルコ 1:8 私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、この方は聖霊によってバプテスマをお授けになります。 という聖霊のバプテスマは使徒2章に実現しました。イエス・キリストを信じた全てのクリスチャンに聖霊が住まわれる(「聖霊の内住」という)のですが、「聖霊のバプテスマ」は聖霊の内住があってから後、内側からも外側からも聖霊に満たされる体験です。その聖霊のバプテスマを受けた証拠として異言を語ります。

    2.聖霊のバプテスマは不思議な体験ですが、宣教の力を与えます。だから外国語で語ることもあったわけですし、聖霊が働かれると人に対しても愛が溢れてきます。神が愛だからです。その愛は「どうしても救われて欲しい」というイエスの愛の思いと同じです。こういう宣教の力であり、祈りも変わります。

異言

    1.聖霊のバプテスマが最初に起こったのがこの使徒2章でした。彼らは集まった人にわかるそれぞれの国の言葉で福音を語りました。これも異言の一種です。そこから使徒の働きを読むと分かるように次々と人々が救われ、続いて聖霊のバプテスマを受けています。例えば使徒8:14-17のサマリヤでの出来事、使徒10章のコルネリウスの出来事でもわかります。

    2.外国語を語るという異言は今もありますが、多くの場合、誰にもわからない神からの言葉、特に初めのうちは赤ちゃんのように「ダダダダ・・・」等の音声だけのようなものもあります。赤ちゃんはそれで何かを語っているように言葉なのでしょう。さらに少し成長した子どもだと「マンマ」等言うように、異言も言葉らしくなってくるかも知れません。

    3.特に私が異言で祈れることをお勧めする理由は、聖霊のバプテスマを受けた証拠だということはもちろんですが、異言の祈りは自分もわからないことが多いです。でもそれは聖霊に導かれた祈りなので、誰かのプライバシーに関わる内容であってもわからないで祈るのですばらしいのです。神は私たちの祈り無しには事を行われないのです。ですから、聖霊は私たちに働いて大事なこと祈らせてくださるのです。

● 聖霊のバプテスマの恵み p115-117の証を記します。

聖霊のバプテスマを受けた証し
「聖霊の力」   関東南西教区 青年 

私が受霊したのは大学1年の時でした。 聖霊待望会に参加し、祈り続けてもなかなか受霊せずにいた時、手を置いて一緒に祈っていた友人が突然祈るのをやめ、「何か隠していることがあるでしょう」と言いました。私はそれを聞いてドキッとしました。
 私には神様が喜ばないと知りながら、やめる決心ができないでいたことがあったからです。友人は「神様に全部話して悔い改めよう」と言ってくれました。私はもう逃げられないと思い「ごめんなさい!もうしません!」と叫ぶ様に祈りました。その瞬間、舌がもつれ異言が口から飛び出してきました。大泣きしながらもうれしくて異言で祈り続けました。受霊は素晴らしい体験でした。でも私が本当に証ししたいのは受霊後のことです。
 聖霊様は私を全く新しく変えました。毎日喜びがあふれ続けました。聖霊の力はデュナミスというダイナマイトの語源の言葉で表されますが、まさにそのとおり、喜び爆発状態でした。
 大学の友人に、「聖霊のバプテスマっていうすっごい体験をした!」と興奮して話しをし、友人は私の勢いに圧倒されていましたが、「よくわからないけど今までと違うと、はっきりわかるから、その話が本当だって信じるよ。良かったね」と一緒に喜んでくれました。
 今思うと、イエス様を伝える前にいきなり聖霊のバプテスマについて話すのは、順序が違ったと思いますが、聖霊の喜びが強すぎて伝えずにはいられませんでした。その後、大学内で聖書研究会を開くように神様が道を開いてくださり、教授や友人と聖書を学ぶ時が持てるようになりました。
 使徒行伝1章8節にあるように聖霊様は証しする力をくださいます。そして今も変わらず共にいてくださり、喜びを与え続けてくださっています。
 月刊アッセンブリー誌2021年2月号「深まり、広がるペンテコステの恵み」

★ どなたも聖霊に満たされた人生を歩んでいただきたいと思っています。聖霊に満たされることを祈り求めてください。祈り、待った弟子達が約束の聖霊をいただいたように、私たち誰でも祈り求めるならいただくことができます。