基本的生活習慣 2
食べる習慣
前回の「早寝・早起き」の記事とあわせて、数カ所で子どもの睡眠のことをお話ししましたが、多くの方の深刻な問題でもありました。その多くはなかなか早寝ができないという問題でした。
同時に私が子育て通信118号を出した直後に「子どもの夜更かし 脳への脅威」(三池輝久 集英社新書)という本が出たのです。急いで買い求め、読みましたところ、睡眠の重要さがしっかり書いてあり、とても参考になりました。決まった時間に子どもが寝ること、起きることの重要性を改めて感じました。
早寝・早起きは基本的生活習慣の大事なものですが、「食事」もその大事な一つです。神様が人間に「食欲」を与えてくださったので、私たちは食べて元気になります。ただ、現代は「食べ過ぎ」「偏食」などの問題がありますので、単に食べれば元気になるとは限らない時代になりました。
子どもの基本的生活習慣の「食習慣」はこういう現代の事情を考えると整える必要があると思います。また、「食育」という言葉もよく聞くようになりました。
孤食の問題
何をどのように食べるかということも大事ですが、どのような環境でたべるかということもとても大事な事です。
「孤食」という言葉ももうだいぶ前に登場したと思います。一人で食事をする子どもが増えているというのです。家族みんなの時間がまちまちで一緒に食卓を囲めなくなっています。それはどのような問題を引き起こすのでしょうか?
ネット上で調べた事をもとに書いてみます。
1981年にNHKが中心となって行った調査で、孤食は17.8%だったそうです。そこで「子どもが寂しく食事をしていてかわいそうだから、子どもたちと一緒に食事をしましょう」というようなことが訴えられました。
それから、10年が過ぎ、1992年に日本生協連が同じ調査項目で調べたところ、その数字は23.1%に増えていたというのです。当然、家族全員で食事をしているのは減少しています。
孤食を子どもたちはどう感じているのでしょうか? 「朝食はどうだったか」の設問に対して、
楽しかった 37.4%
つまらなかった 10.7%
どちらとも感じなかった 50.6%
という結果でした。本来楽しいはずの食事を、約6割の子どもたちが、楽しく感じていないのです。
家族全員で食事をした子どもは「楽しかった」という回答が多く、一人で食べた子どもは「つまらなかった」の回答が多いのです。
つまり、当たり前のことかも知れませんが、食事の楽しみは料理だけではなくて、家族のコミュニケーションで成り立っていると考えられます。
食べる環境
また、お腹が空いていない、意欲的に朝食を食べようとしていない子どもは三分の一ほどいることもわかったそうです。このことは子どもの起床時間と関係があると言われています。
6時台に起きた子どもにはお腹がペコペコだと感じている割合が多いのですが、7時、8時台に起きた子どもには食欲のない子が多くなっているというデータが出ています。
つまり、子どもの生活習慣が昔と変わってきており、夜型が増えていると考えられます。夜が遅いために、朝はなかなか起きられず、学校や幼稚園に行くギリギリまで寝ているために、朝食を美味しく食べられないということになるのです。
そこには、また基本的生活習慣の「排泄」の問題が生じます。朝に排便しないで登園・登校することでお腹に痛みを覚えたり、気持ちが悪くなったりしてしまうというケースが多くあります。
食事の中身
また、朝食の中身も気になるところです。以前にテレビでも紹介されていましたが、ある子どもの朝食は「ドーナツ」であり、「シュークリーム」でした。食べてはいるけれども、果たしてこういうものを朝食と呼んで良いのか?です。また、トーストとコーヒーだけという子どももいたそうです。
「胃腸の調子が悪い」「夜よく眠れなくて、体がだるい」と訴える子どももいます。
食事のマナー
食事ということでは、「食事のマナー」も気になります。これもかつて言われたことですが、「犬食い」というお皿に口をつけて食べる姿ですが、ここには給食の問題がありました。「先割れスプーン」で上手く食べることができず、口の方をお皿にもっていくようになったわけです。今はこうした事はかなり改善されました。
でも、孤食が増えているとすると、マナーは教えられないと思います。かく言う私もそんなにしっかりとマナーを知っているわけではありませんが・・・若い頃、結婚披露宴で、テーブルに並べられたたくさんのナイフやフォーク、どこから取っていいのやらわからなかったのですから。
しかし、お好み焼きの鉄板のあった子ども時代のわが家。みんなで突っつくお好み焼きは上手に焼けるようになりましたし、ひっくり返すこともできるようになりました。豚肉はしっかり焼くことも教えてもらいました。
ザアカイ
さて、聖書に食事の話は?? と考えた時、スッと浮かんできたのはこの話です。
ルカの福音書19章。ここに登場するザアカイという人は取税人(税金取り)でした。ユダヤ人から嫌われる仕事で、ザアカイは人々から嫌われていたのです。でもその仕事で彼は金持ちになりました。
彼の住んでいた町はエリコと言って、美しい町だったそうです。ですから、彼は美しい町に大きな家を持ち、財産があり、おいしいものをたらふく食べて生活していたのですから幸せ者だったはず。でも、友達がいないさみしい人生を送ったようです。
そのエリコの町にイエス様がお出でになりました。当時、大変有名になったイエス様ですから、エリコの住民はこぞってイエス様を見に集まってきました。ザアカイもイエス様を見に来ました。しかし、彼は背が低く、前の方に行かねば見えません。嫌われ者の彼を見やすい位置に導いてくれる人なんていませんでした。
彼はイエス様が進む方向にある一本の木の上に登りました。案の定、イエス様は近づいて来られ、見ることができました。
その時、思いがけないことが起こりました。イエス様が突然、木の上を見上げて、「ザアカイ」と呼ばれたのです。驚いたのは、ザアカイと町の人々。イエス様は初めて来たエリコの町の「ザアカイ」の名前を知っておられたのですから。イエス様は「急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」と言われました。
ザアカイは大喜びでイエス様を自分の家に迎えました。つまり、一緒に食事をしたということなのです。この時の彼の言葉はこうです。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」彼は取税人という職業を利用して人々からお金をだまし取って私腹を肥やしていたのです。その彼が、イエス様と食事をし、共に過ごす事で、悪事を悔い改めてまっとうな生き方をすると誓い、貧しい人に施しをすると誓うのです。
イエス様と共に食事をしたザアカイは口を開き食べ物を食べたと同時に、心を開いてイエス様を迎えたのです。そして、彼は自分のために溜め込むことよりも、もっと大事な事を発見し、生きがいを見出したのです。
聖書の言葉を食べることは大事な事のようです。
「私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。」
エレミヤ 15:16
何を食べるかは心にも言えることです。