使徒の働き 16:16~26

賛美の力

礼拝メッセージ

説教者:藤井佳子師
2024/5/12 礼拝説教
【テーマ】主をほめたたえる
【説教題】「賛美の力」
【聖 書】使徒の働き 16:16~26

16:16 さて、祈り場に行く途中のことであった。私たちは占いの霊につかれた若い女奴隷に出会った。この女は占いをして、主人たちに多くの利益を得させていた。
16:17 彼女はパウロや私たちの後について来て、「この人たちは、いと高き神のしもべたちで、救いの道をあなたがたに宣べ伝えています」と叫び続けた。
16:18 何日もこんなことをするので、困り果てたパウロは、振り向いてその霊に、「イエス・キリストの名によっておまえに命じる。この女から出て行け」と言った。すると、ただちに霊は出て行った。
16:19 彼女の主人たちは、金儲けする望みがなくなったのを見て、パウロとシラスを捕らえ、広場の役人たちのところに引き立てて行った。
16:20 そして、二人を長官たちの前に引き出して言った。「この者たちはユダヤ人で、私たちの町をかき乱し、
16:21 ローマ人である私たちが、受け入れることも行うことも許されていない風習を宣伝しております。」
16:22 群衆も二人に反対して立ったので、長官たちは、彼らの衣をはぎ取ってむちで打つように命じた。
16:23 そして何度もむちで打たせてから二人を牢に入れ、看守に厳重に見張るように命じた。
16:24 この命令を受けた看守は、二人を奥の牢に入れ、足には木の足かせをはめた。
16:25 真夜中ごろ、パウロとシラスは祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていた。ほかの囚人たちはそれに聞き入っていた。
16:26 すると突然、大きな地震が起こり、牢獄の土台が揺れ動き、たちまち扉が全部開いて、すべての囚人の鎖が外れてしまった。

使徒の働き【新改訳 2017】
 16:16~26

賛美は神に向かって

パウロとシラスは、占いの霊に取り憑かれた女奴隷を悪霊から解放した。しかし、それによって彼女の主人たちは金儲けが出来なくなった。そこで彼らは、パウロとシラスを市民に悪影響を及ぼすという罪で告訴し、二人は裸にされ鞭で打たれてしまった。それから足かせをはめられ、刑務所の一番奥の牢に入れられた。だが、彼らは泣き悲しんだり、不平を言ったり、主に助けを求めてわめき叫んだりしなかった。むしろ、神に向かって祈り、賛美をささげていたのである。
私たちは、予期せぬ出来事や自分にとって不都合な事が起きると、時として神に不平を言ってしまうものである。「こんなに一生懸命神様のことを思っているのに、なぜこのような仕打ちをするのですか!」と。それは、私たちの目が問題にだけ向かっているからだ。けれども、神を賛美するとき、その不安な状況に目を向けることなく、神に目を向けることが出来る。

賛美は喜びと感謝

神を賛美することは喜ぶことである。(「詩 37:4 【主】を自らの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。」)私たちは、つい祈りの中で「あれをしてください。これをしてください。」と願い事ばかりを言ってしまいがちである。
賛美は神との取引ではない。心の願いのリストを作って、それから神を喜ぶのではなく、まず喜ぶのだ。「Iテサロニケ 5:16 いつも喜んでいなさい。5:17 絶えず祈りなさい。5:18すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」、「ヤコブ 1:2 私の兄弟たち。様々な試練にあうときはいつでも、この上もない喜びと思いなさい。」パウロとシラスは、まさしくそれを実践したのだった。
「16:25 ほかの囚人たちはそれに聞き入っていた。」とあるように、囚人たちもパウロたちの賛美によって、神からの喜びを得たのではないか。牢に入れられ、身体の自由はなかったが、神を賛美する自由は持っていた。
私たちも困難な状況に置かれる時、もう自分の力ではどうすることもできない、祈る力さえない時があるかもしれない。しかし、ただ神を賛美するうちに、いつの間にかその状況を受け入れ、神を喜び感謝している自分に気づくのである。

賛美の力

使徒の働き
16:27 目を覚ました看守は、牢の扉が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったものと思い、剣を抜いて自殺しようとした。
16:28 パウロは大声で「自害してはいけない。私たちはみなここにいる」と叫んだ。
16:29 看守は明かりを求めてから、牢の中に駆け込み、震えながらパウロとシラスの前にひれ伏した。
16:30 そして二人を外に連れ出して、「先生方。救われるためには、何をしなければなりませんか」と言った。
16:31 二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」
16:32 そして、彼と彼の家にいる者全員に、主のことばを語った。
16:33 看守はその夜、時を移さず二人を引き取り、打ち傷を洗った。そして、彼とその家の者全員が、すぐにバプテスマを受けた。
16:34 それから二人を家に案内して、食事のもてなしをし、神を信じたことを全家族とともに心から喜んだ。
パウロとシラスは、牢屋の中で、サタンが勝利したとも、神が自分たちを見捨てられたのだとも考えなかった。彼らはピリピで福音を宣べ伝えるために神が自分たちを召されたこと、また、自分たちに対する完全な計画を進めるために、すべてのことの中に神が働いておられることを堅く信じていた。だから、彼らは全てのことを神に委ねて、神を賛美したのである。
神を賛美する時、そこに神が臨在される。(【新改訳第 3 版】 詩 22:3 けれども、あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。)(【新改訳 2017】詩22:3 けれどもあなたは聖なる方御座に着いておられる方イスラエルの賛美です。)そして、賛美によって神の力が私たちの中に、また私たちの状況の中に働かれる。
賛美は私たちの信仰の表れである。その結果、牢屋の看守とその家族が救われるという素晴らしい神の御業が起こされたのだった。

結び)
私たちは、信仰生活の中で度々失望してしまうことがあるかもしれない。そんな時、なぜこんな目にあわなくてはならないのだろうと、つぶやいてしまう。
自分の力に頼ったところでどうすることもできない。しかし、神に目を向け、神を信頼して賛美しよう。私たちのうちに喜びと感謝があふれるだろう。そして、そこに神が臨在され、神の御業が起こされるのである。