赦すお方
説教者:八木原知宏師
2023.11.12礼拝説教
説教題:「赦すお方」
テキスト:ルカの福音書7:47-50
7:47 ですから、わたしはあなたに言います。この人は多くの罪を赦されています。彼女は多く愛したのですから。赦されることの少ない者は、愛することも少ないのです。」
ルカの福音書7:47-50
7:48 そして彼女に、「あなたの罪は赦されています」と言われた。
7:49 すると、ともに食卓に着いていた人たちは、自分たちの間で言い始めた。「罪を赦すことさえするこの人は、いったいだれなのか。」
7:50 イエスは彼女に言われた。「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。」
ルカの福音書7:47-50で語られたイエス様の言葉では、「赦し」が強調されています。「赦し」とは、イエス様の性質です。
イエス様は、ご自分の性質である「赦し」を通して、神様に対して勘違いをしている人々を正そうとされました。本日は、3つのポイントで赦すお方であるイエス様がどのようなお方かをみていきましょう。
赦すお方は、愛をみる
今日の聖書の箇所は、ある物語の最後の部分。結論のところです。
実際は7:36-50が一つの出来事です。この出来事には、イエス様の他に2人の人物が登場します。一人は、「パリサイ人シモン」。彼は、当時偉い地位にいて、人々に律法を教え、裁きます。もう一人は、「罪深い女」です。名も呼ばれないこの女性は、人々に見下されていました。イエス様に対する対比的な行為からイエス様は女性に心を留め、パリサイ人のシモンを非難します。
イエス様は、2人を比較することで神様の真理を教えられたようです。
この出来事の前に、イエス様は人々に「神の国で偉大な者」について教えています。
7:28-29
わたしはあなたがたに言います。女から生まれた者の中で、ヨハネよりも偉大な者はだれもいません。しかし、神の国で一番小さい者でさえ、彼より偉大です。ヨハネの教えを聞いた民はみな、取税人たちでさえ彼からバプテスマを受けて、神が正しいことを認めました。
人々にとって偉大な人は、この地上で偉大なことをした人だと考えます。しかし、神にとって、偉大な人は、神が正しいことを認めた人だとイエス様は教えました。
イエス様は、罪深い女の行為から愛を感じ、神様を正しいと認めていることを知りました。そして、イエス様は彼女を見つめ、パリサイ人に言います。
7:47 ですから、わたしはあなたに言います。この人は多くの罪を赦されています。彼女は多く愛したのですから。赦されることの少ない者は、愛することも少ないのです。」
イエス様はご自分の言葉を通して、パリサイ人に本当の正しさを悟って欲しかったでしょう。神様にとって正しい人は、イエス様を愛する人です。
赦すお方は、罪を赦すことができる
7:48ではイエス様が罪の赦しを宣言しています。女性がなぜ「罪深い女」と呼ばれなければならないのか?実際、聖書には記されていません。わたし達は「罪」と聞くと、人に対して酷いことをしたり、迷惑をかけたりすることを「悪い事」と考え、「罪」と言うかもしれません。私が神学生の時に出会った年長さんの女の子は、教会学校を通して、罪を「イガイガな心」と表現し、そのイガイガな心が人に怒り、酷いことをしてしまうと理解していました。
ルカの7章において「罪」とは神様の御心を拒むことと表現しています。
7:30 ところが、パリサイ人たちや律法の専門家たちは、彼からバプテスマを受けず、自分たちに対する神のみこころを拒みました。
パリサイ人や法律の専門家たちは地上の正しさをよく知っていましたが、ヨハネを拒み、イエス様を拒むことで、神様を正しいと認めず、これが「イガイガな心」でした。そんなパリサイ人の前でイエス様は罪深い女の罪の赦しを宣言しました(7:48)。誰よりも「罪」に対して敏感だったパリサイ人の前で、このようなことをイエス様が宣言し、人々は驚いてしまいます(7:49)。
ここでもイエス様は、真理を教えてくれています。
罪とは、神様を拒むこと、神様を正しいと認めないことです。そして、イエス様が救い主だと信じ、神様は正しいと認めることで、神様の御心を拒んでいたことは、無かったものとされる。これが、イエス様の「罪は赦された」の意味です。しかし、パリサイ人はイエス様の言葉の意味を理解できなかったようです。私たちは、真理の言葉を理解するために自分の「当たり前」を手放して、聖霊の助けを求めたいと思います。
③赦すお方は、私たちを安心へ入れてくれる
赦された結果は「救い」です。
イエス様は、女性に対して「安心の方へ行くこと」が救いだと教えました(7:50)。
聖書で言う「安心」とは「状況」のことを言います。戦いがないこと。安全であること。相手と仲がよいこと。など、状況を表現します。
7:50の言葉を直訳するなら「安心の方へ行きなさい」とイエス様は言われます。「罪深い女」は神様との良い関係の中で、「安心」の方へ向う新しい日々へ歩き出します。これが「救い」です。
わたしの母教会を開拓された伊藤トミノは先生の証集を読んで、イエス様の救いの力強さを私に教えてくれました。
トミノ先生は勉強したくて、故郷の山形から東京にきけれども、女性が学ぶことを求められない大正時代。その現実に何度も涙を流し、心は空しくなったそうです。しかし、トミノ先生は教会を通してイエス様を信じ、彼女は「一人の魂の救いを求める人生」を歩み初めました。そして、夫であり牧師でもあった伊藤智留吉(ちるきち)先生が第二次世界大戦へ召兵され、戦死した後。貧しい中でも、4人の子どもを背負いながら教会の働きを続けました。イエス様との出会いは、冷たい現実にめそめそ涙を流す女性から、いつでもイエス様のために生きることを決心する女性へとトミノ先生を変えました。
結論
イエス様は、救いを私達に与えてくれます。その救いを受け取るためには「イエス様を救い主だと信じる」信仰が必要です。聖霊は私達が信仰を持つことが出来るように助けて下さいます。多くの人が「安心の方へ生きて行く」希望と勇気を得ることが出来るように、このイエス様の救いを人々に届けて参りましょう。
Posted by shinnakano
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