空の空。すべては空
価値ある人生とは?

空の空。すべては空。

礼拝メッセージ

2023.4.16礼拝説教
テーマ:価値ある人生とは?
説教題:「空の空。すべては空。」
テキスト:伝道者の書1:1~14

1:1 エルサレムの王、ダビデの子、伝道者のことば。
1:2 空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。
1:3 日の下でどんなに労苦しても、それが人に何の益になるだろうか。
1:4 一つの世代が去り、次の世代が来る。しかし、地はいつまでも変わらない。
1:5 日は昇り、日は沈む。そしてまた、元の昇るところへと急ぐ。
1:6 風は南に吹き、巡って北に吹く。巡り巡って風は吹く。しかし、その巡る道に風は帰る。
1:7 川はみな海に流れ込むが、海は満ちることがない。川は流れる場所に、また帰って行く。
1:8 すべてのことは物憂く、人は語ることさえできない。目は見て満足することがなく、耳も聞いて満ち足りることがない。
1:9 昔あったものは、これからもあり、かつて起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない。
1:10 「これを見よ。これは新しい」と言われるものがあっても、それは、私たちよりはるか前の時代にすでにあったものだ。
1:11 前にあったことは記憶に残っていない。これから後に起こることも、さらに後の時代の人々には記憶されないだろう。
1:12 伝道者である私は、エルサレムでイスラエルの王であった。
1:13 私は、天の下で行われる一切のことについて、知恵を用いて尋ね、探り出そうと心に決めた。これは、神が人の子らに、従事するようにと与えられた辛い仕事だ。
1:14 私は、日の下で行われるすべてのわざを見たが、見よ、すべては空しく、風を追うようなものだ。

伝道者の書1:1~14

「空の空。すべては空。」

「伝道者の書」は印象的な言葉で始まっていく。「空の空。すべては空。」と聞くと、仏教の「色即是空」という言葉を思い出す。この世の一切の事物は仮の存在で、本質は空であり、不変のものではない。それこそすべての事物の姿であるということだが、ここで言う「空」はもちろん違う。「空」という語(ヘブル語:へベル)は、元々「息」という意味であり、すぐに消えてしまうむなしいものを表現している。人生は息のように、はかなくむなしいものであると。伝道者の書には、「空」と訳されるヘブル語が34回も登場する。
かつて伝道者は、知恵を第一として生き、事業を拡張して多くの富を得た。しかし最後には誰でも死んでしまう。どれほど苦労して財産を築こうが、死ねば後継者に残すほかない(伝2:1~14参照)。
「伝1:3 日の下でどんなに労苦しても、それが人に何の益になるだろうか。」「益」という語は、旧約聖書中で本書のみに用いられている。伝道者が追い求めている本当の価値、永続的な益を表現しているのだが、人生とは生きる価値のあるものだろうか。伝道者にとって「日の下」の人生は空であり、労苦は無益なものであった。それならば、美味しい物を食べ、酒を飲み、あらゆる快楽に浸れば良いではないか。伝道者は実際に行ってみたが、結局あとに残るのはむなしさだけであった。

「空」は解決できるのか?

伝道者は「空」の解決のために、さらに考える。しかし、むなしいものはむなしいのであって、どんなに知恵や知識によって解決しようとしてもどうすることもできない。彼はただ知恵と知識の限界を知るだけであった。「Ⅰコリント8:2 自分は何かを知っていると思う人がいたら、その人は、知るべきほどのことをまだ知らないのです。」とある通りだ。が、実はその解決がイエス・キリストの中ある。「コロサイ2:3 このキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されています。」そして「エペソ4:21真理はイエスにある」のだ。イエスにある知恵や知識は日の下や天の下にあるものではなく、それをはるかに超えた天上のものである。イエスは「マタイ11:29 わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。」と言われたように、イエスのうちにある知恵と知識こそ、空(むなしさ)を解決するものなのである。
伝道者も全ては神の御手の中にあるのだから、神から離れていては何の喜びもないと語る(伝2:25)。

神を恐れて生きる

今回、伝道者の書を短時間で見てきたが、その内容は単純ではない。彼はむなしさを繰り返し、その合間に忠告を記している。そうした流れの結論が最後の12章なのである。
12:1には、今年の教会標語とされた御言葉がある。(伝12:1 あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。)
この「わざわいの日」とは老年時代を表し、:2~6は老人を表す象徴的な表現なのである。腕の力は弱まり、背骨は衰えて腰も曲がる。足が遅くなり、髪は白くなる。その他、目や耳や声、歯も弱くなる。と、老いてゆく姿が描かれている。いつの時代でも、またどこの国でも人間が老いる姿は変わらない。
神を知らずにむなしく生きていくなら、待っているのは「何の喜びもない」晩年である。だからあなたは、できる限り若いうちにあなたの創造者、すなわち神を覚えなさいと言っているのだ。
こうして、伝道者は以下のように結論づける。「12:13 結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」
私たちが神を恐れて生きるなら、価値ある人生を歩むことができるのだ。

結び
「空の空」という人生は、結局神を恐れず、神の命令を守らずに、神を無視した世界に生きているからである。そのようなむなしい生き方ではなく、神を信じ、神のことばによって価値ある人生を歩もうではないか。