悪魔に祈りを奪われるな
聖霊に満たされて祈る

悪魔に祈りを奪われるな!

礼拝メッセージ

2022/9/25 礼拝説教
【テーマ】  聖霊に満たされて祈る
【説教題】 「悪魔に祈りを奪われるな!」
【聖書箇所】 ルカ22:39-46

22:39 それからイエスは出て行き、いつものようにオリーブ山に行かれた。弟子たちもイエスに従った。
22:40 いつもの場所に来ると、イエスは彼らに、「誘惑に陥らないように祈っていなさい」と言われた。
22:41 そして、ご自分は弟子たちから離れて、石を投げて届くほどのところに行き、ひざまずいて祈られた。
22:42 「父よ、みこころなら、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの願いではなく、みこころがなりますように。」
22:43 〔すると、御使いが天から現れて、イエスを力づけた。
22:44 イエスは苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。〕
22:45 イエスが祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに行ってご覧になると、彼らは悲しみの果てに眠り込んでいた。
22:46 そこで、彼らに言われた。「どうして眠っているのか。誘惑に陥らないように、起きて祈っていなさい。」

ルカ22:39-46

○ 11日に祈祷聖会をいたしました。私たちは共に心を合わせて、「これからの教会のために祈ろう」をテーマに、次世代のために祈りました。私たちの願いであるのですが、みこころと信じて祈り合いました。
  さて、今回「祈り」について考えたいと思います。そこで、イエスが十字架を前にして祈られた有名なゲツセマネの園での祈りを見ることにします。

イエスの祈りの姿

いつものように

    1.イエスは祈りの時に弟子を連れて行かれましたが、まず39節からイエスの祈りを考えてみます。 いつものようにオリーブ山に行かれた のです。この祈りは義務化された祈りでしょうか? ユダヤ人は決まった時間に祈っていました。イエスもそれにあわせておられたかも知れませんが、イエスの祈りは形式的なものではありませんでした。

    2.イエスは主の祈りを教えてくださったように、「天のお父様」と呼びかけて、父なる神とお話しなさっていたのです。それも、親しくです。私たちの祈りもイエスと同じく、いつも父なる神と親しくお話しする祈りであるべきでしょう。

私の願いではなく

    1.そして、このゲツセマネの祈りの最大のポイントは 22:42 「父よ、みこころなら、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの願いではなく、みこころがなりますように。」 です。何が何でも自分の願いを聞いて欲しいというものではなく、みこころを求めておられます。

    2.願いを祈るのは問題ありませんが、神を自分の召使いにして言うことを聞かせようというのは祈りではありません。私たちが神のみこころを知り、それを受け入れる力を得るために祈るのです。

誘惑に陥らないように祈る

眠気との戦い

    1.イエスは大変な思いで祈っておられるのですが、弟子達はどうだったでしょうか? 眠り込んでいたのです。イエスは いつもの場所に来ると、イエスは彼らに、「誘惑に陥らないように祈っていなさい」と言われた。 のですが、眠っていました。祈っているときに睡魔が襲ってくるということはあります。

    2.私は授業中に寝ることはまず無かったのですが、塾に通っている友だちが疲れて寝ている姿を何度も見ました。また、寝やすい先生がおられたのです。ある友だちはその先生の授業では必ず寝ているのです。しかもシャーペンだけは動いているのですごい技術です。そして彼が言うには、「寝ないようにしようと思っても寝てしまうんだ」と言っていました。そうなのです。寝る習慣が身についたのです。良いことが習慣化することはいいのですが、良くないことの方が習慣化しやすいと言います。

悲しみのあまり寝込んでしまった

    1.弟子達は眠かったのかというと、 彼らは悲しみの果てに眠り込んでいた とあるように悲しみが強いと寝てしまうことがあるのです。寝ることで悲しみを逃れ、またその間に脳を休めて心身の不調を回復させるのです。寝ることに効果があることはよく知られていることです。

    2.こういう人間の寝ることの習慣や効果を知っている悪魔は寝ることを用いて祈りを中断させてしまうこともあるのです。イエスがここで 誘惑に陥らないように と言っていらっしゃるのは、悪魔の誘惑のことです。睡魔ではありません。

悪魔に祈りを奪われないように

悪魔は弟子達にも働いた

    1.この時、イエスは最後の晩餐(聖餐)を弟子達となさってから祈りに出ておられます。少し前にユダの裏切りが起こり、彼はユダヤの指導者達のところにイエスを売り渡しに行くのです。ユダについてはこう書いてあります。 ヨハネ13:2 夕食の間のこと、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうという思いを入れていた。 また、 13:27 ユダがパン切れを受け取ると、そのとき、サタンが彼に入った。 悪魔は働いています。

    2.イエスはペテロにはこう言っておられます。 ルカ22:31 シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。 サタンが誘惑をしかけてくるのです。このあと、ペテロは大胆にも 22:33 シモンはイエスに言った。「主よ。あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」 と言っているのですが、イエスを3回も否んでしまうのです。サタンの勝利ではないでしょうか。

聖霊に満たされて祈ろう

    1.私たちは人間的にはとても悪魔に勝つことなんてできません。弟子達がこんな大事な祈りの場面で眠り込んでしまったことも否定できないことなのです。まだ聖霊を受けていないときの弟子達なのですから。

    2.私たちは聖霊を受けています。では、私たちはイエスが いつものようにオリーブ山に行かれた というような祈りをしているでしょうか。イエスのようにいつも神を愛して親しく交わりを持っているでしょうか。

★ 私たちは悪魔の誘惑に陥らないで祈ろうではありませんか。眠らないということではありません。聖霊に満たされて、心から神を愛して、親しく神とお話をする、そして願いを聞いてもらうだけの祈りでは無く、みこころを求めて祈らせていただこうではありませんか。